「プカプカ」を読んで発見した三つのこと(下)
西岡恭蔵さんの伝記「プカプカ」を読みました。三つの発見(気付き)がありました。今回は3つ目の発見について書きます。
西岡恭蔵さんの伝記
1970年代から活躍したフォークシンガーの西岡恭藏さんの伝記「プカプカ」が出版されました。
西岡恭蔵さんは、今ではJ-POPのスタンダード曲になった「プカプカ」の作者として知られています。
私はこの伝記本を読んで、三つの発見がありました。前回「プカプカを読んで発見した三つのこと(上)」でその内の二つについて書きましたが、その二つの発見は、私にとっては発見でしたが、事実としては知られていたことで、新しいものではありません。
私が知らなかったり、気付かなかったりしただけです。
今回、触れる三つ目の発見は、この本の神髄であり、私がもっとも知りたかったことに関わっています。
それは西岡恭蔵さんの死にまつわる記述です。
ここからはネタバレを含みますので、あらかじめお断りしておきます。
妻の三回忌に死を選ぶ
西岡恭蔵さんは最愛の妻、KUROさんをがんで亡くし、その2年後、妻の三回忌前日に自ら命を絶ちます。1999年4月3日、50歳でした。
KUROさんは西岡さんの曲で多くの作詞を手掛けています。クレジットされていなくても、西岡さん作詞の作品の多くは、KUROさんとの共作だったようです。
西岡さんにとって、KUROさんは妻であると同時に、共同制作者でもあったわけです。
配偶者、パートナーが亡くなった後、自殺するケースは、多くはありませんが、全くないわけではありません。
作曲家の井上大輔さんは、大輔さんが自殺した翌年に奥さんも自死しています。
ただ、西岡さんの場合、妻を追って後追い自殺するようなイメージがありませんでした。
多くの音楽仲間を持ち、その音楽性を高く評価されていた西岡さん。KUROさんとの間に子供も2人いました。
だから、当時、西岡さんが自殺したということを報道で知った時には、かなり驚いた記憶があります。
意外な事実
この「プカプカ」を読むと、ある意外な事実を教えられます。西岡恭蔵さんが早い時期から、うつ病を患っていたということでした。
奥さんが亡くなって、心の病を患ったのではないのです。
むしろ、奥さんの存在によって、救われていた側面があったのでしょう。
だから自殺を選んだのか、と短絡的に結び付ける気はありません。でも、後追い自殺の理由が少し分かったような気がしました。
一般的に、自殺の理由は自殺した本人にしか分かりません。たとえ遺書が残されていたとしても、それが事実であるかどうかは本人にしか分かりません。
ただ、西岡さんの場合、KUROさんが亡くなった後に、本人がとった行動にヒントが隠されているような気分にさせられます。
KUROさん追悼コンサート
46歳の若さでKUROさんががんで亡くなった後、西岡さんは精力的に活動します。
KUROさんは西岡さん以外のアーティストにも歌詞を提供し、作詞家の横顔も持っていました。
日本のフォーク・ロックシーンで早くから活動していた西岡さんは、ミューシャン好みのミュージシャンとして、幅広い交友を持っていました。
その西岡さんの傍らにいつもいるKUROさんも、ミュージシャンやスタッフたちに愛された女性でした。
西岡さんはそうしたゆかりのミューシャンを集めたコンサートを企画し奔走し、実現にこぎつけました。
そのコンサート「KUROちゃんをうたう」に参加したミュージシャンの顔ぶれを見ると、その多様性に驚かされます。
主な出演者
大塚まさじ&永井洋(ディランII)/友部正人/いとうたかお/太田裕美
シバ/中川イサト/高田渡/金子マリ/上田正樹/もんたよしのり/亀淵友香
有山じゅんじ&ゴンチチ/憂歌団/山下久美子
自らのうつ病と戦いながら、精力的に動き回ったのには、やはり期するところがあったのかもしれません。
四国霊場巡り
この本では、徳島の知人宅に身を寄せて、四国霊場の札所巡りをしたことなどが記されています。
本来、霊場巡りは極楽浄土を祈念して行う修行のようなものです。
それをよく知っている知人が、西岡さんを霊場巡りに行かせまいとするくだりなどは、背筋が寒くなります。
霊場巡りの後、精神的に安定し、またテレビの収録の予定などを入れていたことなどもあり、知人たちはひと安心していたようですが、KUROさんの命日の前日、西岡さんは自宅で縊死してしまいます。
享年50でした。
「プカプカ」を読んで得た三つ目の発見は死の真相でした。
もちろん、これは私が感じた真相でしかありません。
ただ、本を読むことのありがたさを教えてくれる優れた伝記本であると感じたのは確かです。
友部正人さんの書評
ここからは蛇足の記述になりますが、興味ある方のために記しておきます。
西岡さんと親交のあったミューシャンで詩人の友部正人さんが、北海道新聞で「プカプカ」の書評を行っています(2022年1月16日)。
友部さんは、かつて西岡さんの志摩の実家に泊まったことなどをつづった後、書評をこう結んでいます。
「死が分つことのできない二つの生が存在したということ、ぼくはこの本を読んで知った」
「死が二人を分つまで」とはよく聞く言葉です。
そうではない生があるということはどういうことなのでしょう。
西岡さんの物語は、西岡さんとKUROさんの物語なんだと、改めて思います。
この物語はミュージシャン西岡恭蔵と作詞家KUROの物語であると同時に、肩書のない人間としての西岡恭蔵とKUROの物語なのでしょう。